ヘーゲルは語る。労働(農耕)するのは人間だけだと、
人間だけがいまここでの欲望を
遅延させ
ガマンして未来の生存のために配慮すると、
この遅延行為から死の概念が発生すると、
ヘーゲルは、死を知りつつ生きることと、
現在の欲望の遅延と未来への配慮、
これが人間的な生の特質であると言う。
労働(農耕)は、人間が明日の目的に向けて今日なすべきことは何か、
と合理的に考えつつ行う行為だから、
人間をしだいに理性的な存在にしていくと考えた。
バタイユは、労働(農耕)の世界のこの秩序を生きる人間は、
何処かで、こうした未来への絶えざる気遣いをすっかり取り払って
今ここを全身で享受したい、という欲望も生まれていると考える。
これ以上何もいらないと感じ、いまここに完全に充足しひたるまさに奇蹟的な瞬間をもつ。
そうした状態を彼は至高性と言う。
それは、エロチシズムや祝祭として現れるが、
それは、私たちの生活に訪れる充足の瞬間である。