芸術が人類活動である生産の、生産活動が人類の為す芸術の何たるかを解いている、
人類史上に労働の誕生が無かったなら、如何なる文化芸術も必要なかった。
ホモサピエンスの止めどない苦悩、その労働の限りない解体、それがアートだ。
そこに対処する人間の感性そのものも、労働で引き裂かれた人間の本性だが、
働く事が至上だった20世紀から、働き生産する事そのものを問題視する21世紀へ、
生産すればするほど、むしろ人々の生活は豊かに成らない、
それは幻想だったとも、そんな21世紀がチラホラ
アートの本質は、新たな21世紀を提言している。
まだまだアートの一般性は20世紀だが、、
バタイユは「労働」とは「現在という時を未来の利益のために用いる」と、
これに対して、「至高であるということは、現在という時を、
その現在という時以外にはなにものも目指すことなしに享受することである」と、
今を今の真中で留まれば在ることの感激を全身で受け
る事になる。それは美の体感だろうが、労働は今を明日へ、今を無にする事に尽力する。
それは真面目な生だろうが止まる事を知らず、そして戦争になる。
だから歴史上農耕は常に祭儀を伴った。2019年へ
縄文時代、狩猟採集もしながら農耕生活が拡大して行った。と同時に縄文文様もより過剰に成っていった。つまりこの過剰する文様は、拡大する農耕の何であるかの記述である。弥生以降の我々から見れば埋葬具様なものがけれど日常の食器だった。人類史上拡大する生産活動と共に文化芸術も進展してきた。つまり文化芸術は生産活動の何たるかその記述なのである。