人類は真の人間になるずっと前から、ある程度環境を操作し、そのことで利益を得ていた。こういう操作は少しずつ、断続的な段階を経て、だんだん農業へと変わっていった。古生物学者や考古学者は、四万年前くらいに大きな歴史の分水嶺があったといっている。この時期とは、解剖学的に見て現代人ということができる、ホモサピエンスが真にその一歩を踏み出した時期にあたると思われる。そうすると、真の農業もこのときに。。新石器革命の何万年も前に。。始まったと考えるのが妥当なのである。
農業は、生態学的な面では成功した。それは農業が楽しいものだったからではなく、よく機能したからである。農業は、それをしないときよりも多くの食べ物を、環境から入手可能にさせる。おかげで人間の数は増加した。それに狩猟生活は。。人間にせよ他の動物にせよ。。労力をかけたらそれだけ報われるものでもないが、農業の場合、がんばったら、その分必ず報われる。よく働く人間からなる大きな集団が、のんびりと過ごす人間からなる小さな集団を凌駕しても、それは仕方のないことだろう。
(中略)
しかし、今こそ我々は、この指数的な人口増加がこの先どれくらい続くのだろうかと疑問を投げかけてみなければならない。さらにいえば、今やアベルを殺したカインに象徴されるような頑固さや愚かさ、勤勉さ、つまり新石器時代の人間とその子孫を成功に導いたやり方、そういうものがこれからもずっとふさわしいかどうか問い直すべき時でもある。我々の遠い祖先の狩人は、ライオンと同じように、あくせくとは働かなかったに違いない。我々はそういう祖先からこそ学ぶべきではないだろうか。
(コリン・タッジ 竹内久美子訳 新潮社)