生産と文化の関係性の、より明快な、人類史的な意味の解明が急がれる。
実は、農耕を起にするあらゆる生産活動その物に、大きな欠落が有る様です。
その一つがどこまでも太ろうとする過剰性だ。
基本的にそれは制御盤を持たず限りなく走る、暴走する。
だから、むしろ戦争や自然破壊などで、人は逆に豊かさを失って来た。
それは、個々人の生の喪失になった。生産力が上がる程、生から遊離してきた。
だから、故に人類はその当初から文化を育んだ。それが人類のビッグバンだった。
だから、プレ農耕期の文化は自明で鮮烈だったが、
いつからか文明はその意味を見失った。
それは、馬鹿よりひどい事となった。
だから現代、人類史はより鮮明な文化を希求している。
でないと、人類は危うい。
これは、佐藤洋一郎氏による三内丸山の農産物との遺伝子の対比だが、
栽培により、遺伝子は多様性を失っていると、見れる。
だから、未開の人々は徐々に農耕社会が大きく成る中で、
何処までも、野生の食べ物を求めた。
今なお、天然物は魅力的ですが、